『主上!私、主上のために枯れない花を作りますね!』
『…ああ、楽しみにしている』
無邪気な笑みを浮かべてそう言った彼女は今頃どうしているだろうか――。
* * *
「…ゅじょう、主上。一度、休憩になさいますか?」
「あ、ああ。すまない。続けてくれ」
決して政務を蔑にしているつもりは無かったが、ふと集中が切れ、陽子は景麒が自分の傍らで書状を読み上げるのも耳に入っていなかった。
理由は分かっていた。
今朝方、たまたま祥瓊が御庫から見つけてきたこの見事なまでの花の形を模した細工。硝子とも違う、つるりとした不思議な触感のある細工に手を伸ばしながら、陽子はまたもや思いを馳せる。
『陽子。これ随分と趣味のいいものじゃない。せっかくだから政務室の机に飾ったらどう?』
様々なものを見聞きし、目の肥えた祥瓊がそう言うほどの代物。
持ち主としてはもっと喜んでもいいはずなのに、何故か手放しで喜ぶことが出来なかった。
『あ、ああ…。そう、だな…』
それを贈られた時に心に覚えた感傷にひたるにはもう随分と月日が経った。
いい加減日の目を見せてやらないと可哀想だと思い、陽子は祥瓊の言葉に素直に従ったのであった。
だが、やはり目にしてしまうとどうしてもそれを贈られた時の状況を思い出してしまう。
現に、日頃からあまり感情を表に出さない景麒をこうやって心配させてしまうぐらいには、普段とは違って見えるのだろう。
「ですが…」
「ああ、そんな顔をするな景麒。じゃあ少し休憩を挟もう。誰かいるか?茶を頼む」
「―畏まりました」
そう一声声をかければ、続きの間に控えていた女官の一人から即座に返答が返ってくる。仕事の早い彼女たちのことだ、すぐにでも用意できるだろう。そんなつかの間の間に、景麒相手に思い出話を一つするのもいいかもしれない、と景麒にすぐそばに設えられている椅子に座るよう促すと、陽子は再度口を開く。その最中にも視線は自然とその置き飾りに惹かれていた。
「すまないな、景麒。これじゃあ仕事になっていなかったな」
「どうかなさいましたか」
「『君主たるもの謝罪の言葉を軽々しく口にするものではない』って今日は注意しないんだな」
いつも口酸っぱくして言われる内容を口にすれば、苦虫を噛み潰したような景麒の顔が目の前に鎮座して。ああ、今日はこんな揶揄うつもりもないのにと改めて景麒に向き合う。
「…主上」
「ごめん。ありがとうな、気を遣わせてしまった」
「いえ。…理由をお聞きしても?」
「ああ、むしろ聞いてくれたらありがたい。自分の中でも整理出来そうだ」
「お役に立てるならば喜んで」
景麒の口からこのような言葉が出てくるとは随分と距離を縮めることが出来ている証拠なのかと陽子は内心喜びながらも、ゆっくりと話し始めるのであった。
「…これはな、ある一人の冬官から贈られたんだ――」
* * *
『や、調子はどうだ?』
『主上!またお一人で来られたのですか?しかもこの様な裏口から』
『だってこうでもしないと、皆の普段の様子が見られないからな』
『そうは仰いますがね、こちらにも心の準備というものが…』
建物の構造にもようやく慣れ、景麒のお小言も何とか上手く交せるようになってきたある日のこと。陽子は一人、冬官府を訪れていた。
頻繁に各官府に顔を出すようになって、国主である自分にも恐縮せず普通に接してくれる馴染みも出来た。
彼女はそんな官吏のうちの一人だった。
『で、今は何を作っているんだ?』
陽子の王らしからぬ言動を窘めながらも、そこには間違いなく主を慕う気持ちが込められていた。
『もう…。これでございますよ』
そう言いながら彼女が差し出してきたものは見事な透かし彫りの入った花瓶であった。触れれば壊れそうな、そして落として割ってしまわないか不安になりながら陽子が恐る恐る手を伸ばすと、彼女は笑顔で陽子の手に持たせる。
『これは、花瓶…?』
『ええ。ですが普通の花瓶とは違い、花が長持ちするよう呪が掛けられております。これに花を活けて頂ければ、選りすぐりの花たちも、少しでも長く主上の目を楽しませることが出来ると思いますよ』
『…本当に、いろいろ思いつくものだな』
確かに蓬莱でも花を少しでも長く持たせる方法等様々考案されていたが、こちらはスケールが違うなと、陽子は目を見開きながら心底感心するように言葉を漏らす。多少の不思議なことには慣れてきたつもりであったが、蓬莱育ちの陽子には呪という考え方がまだまだ馴染みがないのが現状であった。
『ええ!些細な案でも形に起こしていけば、国の更なる発展に繋がっていくと信じておりますから』
『頼もしいな。…だが、そこまでしてもやはり花は枯れてしまうのだな。それが少し、寂しい…』
受け取った花瓶を抱きしめながら陽子がそう零すと、目の前の彼女は何かを思いついたのか、身体の前で小さく拳を握りしめながら声を上げる。
『では主上!私、主上のために枯れない花を作りますね!』
『枯れない花?そんなものまで作れるのか』
陽子は再度驚きを口にするが、彼女ならば何かしてくれるかもしれないと期待の眼差しで見つめる。
『ふふ、それは出来てからのお楽しみです』
彼女も楽しげに言うだけで、何をするのかは具体的には教えてくれず、暫くはそれの完成が陽子の密かな楽しみとなっていたのだった。
* * *
「…そう言ってくれた彼女は確かに約束通りにこれを私にくれたよ。――仙籍から抜ける前日に」
そう言いながら、陽子は掌の中でその花の置き飾りを遊ばせる。政務室の大きな玻璃戸から刺す日の光を受けて、それは不思議な色合いを醸し出していた。角度を変えて見れば、それはさながら虹のような。
「一体、何が」
「最後の親類縁者が天に命を返す時には、自分も仙籍を抜けて野に下ることを決めていたそうだ」
「そう、ですか…」
よくある話だと陽子は寂しげな笑みを浮かべて話を続ける。
「彼女のことを思い出してしまうからと、寂しいからと、貰っておきながら見るのも辛くて御庫にずっとしまっておいたんだが、ようやく出してやれた」
「……」
そんな陽子の言葉に景麒も何と言っていいのか分からないのか、いつも以上に口数が少ない。
「枯れない花なんて無いのにな。…なんだか、国の興亡にも似ている」
「麒麟である私相手に、それをお言いか」
国の在り方を世間一般では短いと言える花の一生に例える陽子に、景麒もそれには思わず口を挟む。そんな景麒の様子に陽子は詫びながら、叶いもしない願いを口にする。
「この細工のように、国も永遠に命芽吹かせたままでいればいいのに…」
「枯れません」
「え?」
静かな、でも確かに強い気持ちの込められた声が陽子の頭上から降ってきたかと思えば、景麒が立ち上がって、いつも以上に真摯な眼差しで陽子を見つめてくる。
「枯れません。民が、官吏が、貴女が、国の平和を、繁栄を願い努力し続ける限り、その祈りを糧に、この国という花は咲き続けます―」
常になく饒舌になる景麒に陽子は一瞬驚くも、その言われた内容に喜びを隠せない。気の利いた言葉が返せなくて、でも感謝の念だけは伝えたくて。景麒の顔を見上げながら万感の思いを込めて口を開く。
「…ありがとう。景麒」
「いえ。我ながら随分と柄にも無いことを申し上げました。不愉快であったならばお許しを」
そんな陽子の満面の笑みを真正面から見ることになった景麒は急に照れ臭くなったのか、いつもの調子に戻って、口元を隠しながら口早に言葉を紡ぐ。
いつも通りのようで、いつもとは少し違う景麒の様子に、陽子はこれ以上無い愛おしさが込み上げてくるのを感じていた。
これが、己の半身―。
「そんな訳ないじゃないか。…これからもよろしく頼むな、景麒」
「――御意」
そう言って主の足元に深々と頭を垂れる麒麟と、それを優しげな瞳で見つめる主の姿が金波宮の一角で人知れず見られたのであった。