タイトル「その願いは祈りにも等しく」
お題:「願い」
傾向:ほのぼの時々シリアス
登場人物:泰主従、正頼、李斎
「台輔は一体、いつになったら私どもに甘えてくださるのでしょうか」
本人を目の前にしてそう言うのは、自分の教師とも言うべき人物で。
その問いを投げかけられたのは、仁重殿の一角を散歩している時のことであった。
泰麒は何と答えるべきか困り、今思っているままを伝える。
「…僕、甘えているよ?分からないことはいつも正頼に訊いているし、李斎にもお喋りの相手をしてもらったり、驍宗さまに遊んで頂いたり。うん、甘えていると思うの」
両手を広げて指折り数えるように、泰麒が自分が甘えていると思うことを述べていくと、正頼は大仰に首を振る。
「そういう事ではないのですよ。もっと駄々をこねられたり、うんと甘えてもらいたいのです」
そう何やら力を込めてそう言われてしまえば、これ以上何と言っていいのか分からずに、泰麒はほとほと困り果ててしまうのであった。
さて何と言えばいいのだろうと、またいつもの様にからかわれているのかしらと逡巡していると、清冽な、でも己にとってはとても慕わしいもの――王気を感じる。
それを感じ取るや否や、無意識のうちに笑みがこぼれていたのか、目の前の正頼の雰囲気も変わり、彼もまた、己の解りやす過ぎるくらいのその変化によって自分たちの主が近づいてくるのを知るのであった。
「驍宗さま!」
泰麒が弾んだ声を上げながらその名を呼べば、呼ばれたその人は鷹揚な笑みを浮かべながらこちらに近づいてくる。
「蒿里」
その人に与えられた、かけがえのない大切なもの。
呼ばれるだけでこんなにも嬉しくなる。もっともっとその名で呼んでもらいたくなる。
自分を育ててくれた人たちに与えられた名前も大切なものの一つだけれど、驍宗に与えられたものは唯一無二の宝物であった。
「して、どうした。蒿里。何やら難しい顔をしていたようだが。また正頼に意地悪な問いでも出されたか?」
面白がるように驍宗がそう言えば、側に控えていた正頼がすかさず口を開く。
「いえ、私が少々台輔を困らせるようなことを申し上げてしまっただけでして…」
口では申し訳なさそうに言うものの、その口調は柔らかく、すまないと思っている雰囲気ではなかった。
これは己の口から言うしかないような話の流れになっており、泰麒は躊躇いながらも意を決して口を開く。
「正頼ってば、僕にもっと甘えてほしいって、駄々をこねてほしいって言うんです」
これに対して驍宗がどう思うのか泰麒は気になり、不安げな顔で彼の人の顔を見上げれば、急に視界が高くなる。
一瞬何事かと思ったが、己の身体を支えるその逞しく温かい腕を感じ取り、主に抱きかかえられたのだと瞬時に悟る。
「正頼のその意見には私も同感だ」
「…驍宗さままで」
「そうでしょう、そうでしょう」
茶々を入れるように正頼がそう相槌をうつが、その後すぐに驍宗の言葉が続く。
「しかし、私は蒿里の性分を十分過ぎる程知っているからな。無茶を言うつもりはない」
そう言いながら、驍宗は泰麒の後頭部を優しく撫でる。
その感触がくすぐったくて、驍宗の言葉が嬉しくて、泰麒は首をすくめながら小さく漏らす。
「…僕にも、してほしい事くらいあるんです」
「おお。それは聞き捨てなりませんな」
「私も是非とも聞きたいところだ」
二人の視線が一気に集まり、泰麒は若干顔を赤らめながらも、ぽつりぽつりと言葉を重ねる。
「ええっと、その。してほしい事と言ったらおかしいかもしれないけれど、」
途中で自分の口にすることに不安を覚えて泰麒が言葉をとぎらせれば、続きを促すかのように軽く背中を叩かれる。
その手の主の瞳はとても優しいもので、泰麒はこの人を一瞬でも怖いと感じた過去の己を恥じるばかりであった。
しかし、今はそんなことはどうでもいいと、頭を振りながら続きを口にする。
「…驍宗さまと、ううん、皆と。いつまでも一緒に居たい、です」
そう言うと、泰麒は驍宗の肩口に顔を突っ伏してしまい、その表情は二人には見えなかったが、その耳は大層赤くなっており、それから彼の心情が伺えた。
そして、そんなささやか過ぎる、願い事とも言えない願い事であったが、それは確かに二人の耳に届いていた。
「台輔のお願い事とあっては叶えない訳には参りませんな」
「ああ。全力で叶えよう」
まるで幼子をあやすように泰麒の身体を優しく揺さぶる驍宗と、それに大人しく身体を委ねる泰麒。その光景を眩しいものでも見るかのように目を眇める正頼の姿がその日見られるのであった。
*
「…ねえ、李斎」
「何でしょう、台輔」
彼の人を探し出し、真実を突き止める為に歩み始めた二人。
「僕は李斎から見て、幼い?」
強い意志をその瞳に宿した少年がそう問えば、隻腕の女将軍はやわく首を振る。
「…いいえ、いいえ」
「あの頃の僕は、願いごとを叶えてもらうことを当たり前のように享受していたけれど、今度は自分の力でその願いを叶えてみようって」
「台輔」
「あの頃と全く同じという訳にはいかないけれど、少しでもあの頃の様に近づけたらいいと思う。――そして今度こそ、限りない安寧を」
「私も微力ながらお助け申し上げます」
失ったはずの腕を抱えるように李斎は静かに答えるのであった。