我等の主は一風変わっていると言っても過言ではないであろう。
我等、といっても自分ともう一つの存在は、そもそも属し方ともいうべきものが違うから、実質己のみなのだが。
それでもこの現状が普通でないことは、他との交流を持たない自分でも解かっていた。恐らく本質的な部分で。
「慠濫、慠濫!あのね、次はね…」
何故自分は今、主の腕に抱きかかえられているのか。
初めて出会った時の主の望みを叶えるべく基本的に小型の犬の姿をとっているが、その本性はれっきとした妖魔である。
主の命なればいかようにも従うが、その内容は命令とも言えないようなものばかりであった。現に今も「小鳥の姿になってほしい」と請われ、その願いを叶えたところであった。
なかなか動物と触れ合う機会が無かったと幼き主に寂し気にそう言われれば、おおよそ感情などというものとは縁の無いはずの自分ですら、「是」以外に答えようがなかった。
しかしそうは言っても、主がこのような事を言い出す時は、余程気づまりを感じている時だけという事には自分も、もう一つの存在も薄々勘づき始めていた。
いくら頼れる臣下であろうと、いくら心優しき傍付きであろうと、己の心の内の全てを明かすほど幼くはなく、その小さな胸の内にいろいろと抱えるものがあった。
また、幼いといえども、多くの、そして様々な目のあるこの王宮内で、無暗やたらと妖魔である自分の力を他者に見せびらかすような真似は軽率には出来ないと自覚はしているのだろう。そのささやかな楽しみも、なるべく人気のない、王宮内でも外れにある打ち捨てられたような四阿でひっそりと行われるだけであった。
* * *
『泰麒』
「なあに汕子?どうしたの?」
『いくら宮城内とはいえ、宮からこんなに離れるのは…』
「慠濫と汕子が一緒に居ても、駄目?」
『…しかし』
「だって、あんまり人の居る所で慠濫とこうやって遊ぶのはよくない事でしょう?他の人がびっくりしちゃうもの」
『……』
崩れかけた玉石造りの四阿の椅子に腰かけ、子犬姿の慠濫を抱きかかえたり足元で遊ばせたり、時には小鳥姿をとらせて肩に乗せ楽しんでいたりした泰麒は、隠形していた状態から姿を現した汕子にそのように言われるも、普段誰の言うことも素直にきく彼にしては珍しく異論を唱えた。
彼の言う事ももっともで、しかもそれは、彼のわがままとも言えない本当に小さな小さなわがままからくるものであった。
それを全て解かっていた汕子には咎める事など到底出来なかった。ただでさえ周囲を大人に囲まれ、未だに時折萎縮してしまう事のあるこの幼子から、ほんの一時の息抜きを取り上げることは出来なかったのだ。
さて、どうやってこの小さな主に少しでも安全な所に居てほしいのかを伝えるかと汕子が逡巡していると、それまでは泰麒に流されるままに行動していた慠濫が珍しく口を開いた。
『台輔』
「どうしたの?慠濫」
『命とあらば如何様にも振る舞うが、私はあくまでも貴方に仕えるべき使役される存在。あまり気安いのも問題かと』
慠濫が何を意図してその様な事を言ったのか汕子には分からなかった。
しかし、これだけは言えた。その様なものの言い方をしては泰麒を傷つけるだけだということを。
『…慠濫!』
汕子が思わず声を荒げそうになるも、そこに静かな声が落ちてくる。
「…僕は」
決して大きな声ではない。遮ることなどたやすく出来てしまうような小さな声。
しかし汕子にとってかけがえのない存在の泰麒から発せられるものを汕子が遮る道理は無かった。慠濫も静かに事の成り行きを眺めている。
「僕は慠濫のことを友達だと思っているんだけど、それっていけないことなのかな?仕えるとか、契約とか、そんなこと抜きに仲良くしたいよ……」
いつもの無邪気な笑顔はなりを潜め、表情を曇らせてその様なことを言う泰麒に、汕子と慠濫は互いに顔を見合わせる。
慠濫の胸中には戸惑いと、妙な感情が入り混じっていた。
使令とは契約に縛られ、利害の一致で行動を共にするもの。
そうあるべきものとの認識があり、その理は折伏された瞬間に身体に焼きつけられた。
主と仰ぎ、常に付き従い、守る。
今までも、これからもそう接するべきである存在にそのように言われ、どう返すべきか。
慠濫が言葉を選んで逡巡していれば、今にも零れ落ちそうな涙をその大きな瞳に揺蕩わせながら泰麒がじっと見つめてくる。縋るような目。あの暗闇で対峙した時のような意志の強さは微塵も感じられない。
『…たい』
何か言わなければと慠濫が口を開きかければ、その小さな口から弱弱しく紡がれるその内容に思わず口を閉じる。
「…ううん。友達だなんていうのも何か変だ。だって僕は、自分に出来ないことを二人にお願いしてやってもらうだけで、二人のためにはちっとも何も出来ないんだもの。だからやっぱり、友達だなんて言うのもおかしいのかな……」
悲しげにそう言う泰麒を汕子が首を振りながら無言で柔く抱きしめるのであった。
どれくらいそうしていたのであろうか、暫くその光景を見つめていた慠濫がようやく口を開いた。
『台輔』
「…ん?」
汕子の胸に顔を埋めていた泰麒がその声に顔を上げて声の主を探すも見つからず、視線をさ迷わせれば、いつの間にか小鳥の姿から子犬の姿に変じた慠濫がすぐ傍で泰麒を見上げる姿勢をとっていた。
『私には友達というものがどういうものか解りません。いるとも思えない』
「そう、なの…?」
妖魔と人間とでは、その理が異なることをまだよく理解していない泰麒は目を瞬かせながら呟くように言う。
『ですから、私に教えていただけますか。友達、というものを』
「…いいの?」
『お望みならば』
「あ、でも、友達って、なってほしくてなるものじゃないものね。だから、やっぱり…」
この期に及んでまだそう言い渋る泰麒に、慠濫はやや強い口調で己の意思を伝える。
『あなたは、こちらとは異なる概念の下でお育ちになられた。そんなあなたを理解し、寄り添いたいと思うのは無用とお思いになるか?』
「…ううん。そうじゃない、そうじゃないの…」
言葉を探し、はくはくと口を開いては閉じる泰麒の背中を汕子が優しく撫でる。そして、泰麒を勇気づけるようにとでもいうように、軽くぽんと背中を押す。
「じゃあ、その、あの。よろしくお願いします、慠濫…!」
『是』
そう言うや否や、ふとその姿を地に隠してしまった慠濫に、泰麒は慌てた声を上げる。
「どうしたの?何があったの?」
『いえ、特には』
「じゃあ何で?」
『…私にも解りかねます』
おおよそ、照れというものはおろか、感情などというものには縁がないはずの妖魔である慠濫は己のとった行動の理由が自分自身にも解らなかった。しかし、確実に何かが変わったのを感じ取った。
最果ての国の、打ち捨てられ、置き去りにされたような空間で、一人と一匹が、共に歩み寄り、未来を見つめようとする姿が、そしてそれを優しげに見守る一対の瞳があるのであった。